鎖国前はグローバル?

帰省すると、いつもの自分では選ばないであろう本に出会える。母の蔵書や妹が持参したものなどである。私がどちらかと言えば分りやすくミーハーで流行りの本を読むのに対し、妹は柳田國男(民俗学者の方)や澁澤龍彦、そして今どきアイザック・アシモフなんか読んでいる。母は新刊だとしても電子書籍が出ないような類のものをメインに読んでいる。

”いつもの自分”と異なるものに接するのは、たいていは新しい発見がある。なので、とりあえず挑んで(笑)みることにしている。今回は、階段に無造作に積まれていた「列島の歴史を語る」(網野善彦)を手に取ってみた。冒頭の数ページを読んで「合わない、無理!」と思えば読むのをやめてしまう。読書は一種の出会いであり、然るべき時に然るべき場所で会うと私は考えており、「合わない、無理!」は”然るべき”でない証拠である。

今回の網野さんの本には、冒頭から惹きつけられた。内藤湖南の「日本は応仁の乱以前と以降では大きな違いがある」という発言を引用していて、「どういう意味なんだろう???」、文字通り身を乗り出して読み進めた。

その意味が分かる前に次に出くわしたのが以下である。

”これまでの日本史のなかで、しばしば「日本は島国」であるといわれきました。このように「島国」であるということは強調するのは多くの場合、日本が周辺の民族から孤立したという捉え方を根拠づけるときにそうなるのだと思います。そして、先ほど申しましたような、日本が単一の国家であり、単一の民族であるという考え方も、「日本は島国である」という見方によって非常に強く支えられているのではないかと思われます。しかし、私はこういう考え方そのものが歴史的につくられてきた見方なのではないか、こういう考え方が本当に根付いくるのは鎖国以後、江戸時代のことなのではにかと考えるわけです。

(中略)こういうふうに、中世では海を通じての交流が活発だった。つまり海が、「島国」として外の世界から日本列島を隔てるだけでなく、逆に外の世界と日本列島を結びつける機能を持っていた、そのことをもう一度考えてみる必要があると思います。”

とても当たり前なのですが、海に囲まれていることは、外の世界から隔てられているのではなく、外へ開いていることなのである、と気づいたのです。次に、鎖国以前は、日本は海外とのやり取りに対する心理的バリアがもっと低かったのではないか、と想像しました。国家や国境が今よりも曖昧でしたでしょうし、江戸にある幕府より、韓国や中国の政府に媚を売った方が良いと考えた地域もあっただろう、とか、九州あたりから江戸に商品を運ぶより韓国に運んだ方が(昔は、同じ距離ならば海運の方が楽)手っ取り早くお金になったでしょうし。

「グローバル化」を声高に叫んで背中を押さなければならない今とは違って、もっと自然に海外を市場と考えていたのではないでしょうか。鎖国前は普通にグローバルだったのでは?

ガラパコスと言われるような島国根性がしみついてしまったのは、鎖国の影響かな、なんて。200年超も続いたものが与える影響は、戦後数十年続いたに過ぎない終身雇用が”当然”として社会の隅々まで浸透してしまったっぽいのを考えれば、とても大きいはず。


鎖国して、内乱もなく、庶民までまあまあ安定した生活を送れた江戸時代、新しい刺激もなく、変革を起こす必要もなかった。イノベーションは生まれず、continuous improvementとして、細部にこだわるモノづくりが日本のお家芸になったのもそのせいか、などと妄想は膨らみました。


エグゼクティブ・コーチ 和気香子

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