和気香子 (エグゼクティブ・コーチ)

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AIに頼めばよかった、と思わなかった理由

10年ほど前、ある大学の教授が、Entrepreneurshipに関する授業にゲスト講義を依頼してくれた。その大学は全ての講義が英語で、学生は日本人と留学生が混在する。2コマ分、休憩を除いても2時間20分である。留学経験はあるものの、日本人特有の読み書きはまあまあ出来ても、「I am not good at speaking」であった。プロジェクターで映し出す資料だけではなく、喋ることを全て英語で準備しないとならない状態だった。でも、依頼してもらえたのは嬉しいことだったし、頑張った。伝えたいことを考える、それをPPの資料にする、そして、英語の完全スピーチ原稿を作る。全て時間がかかった。何を伝えたいかは決まったし、それをどんな例を挙げて伝えれば、文化背景の異なる色んな国の学生に届くか、何度も考えた。考える楽しさだった。それをPPの資料にした後、今のようにGoogle翻訳も充実していなかったので、日本語原稿を作って「翻訳してね」では済まなかった。そして、日本語で文章を作ってしまうと、英語にするのが大変なのも知っていた。ちょっと論理構造がちがうのか? だから、スピーチ原稿も英語で考えた。英語の表現が正しいかどうか、似たような文章がネイティブのサイトにあるかチェックしながら、一文一文作っていった。大変だった。でも、楽しかった。その資料は今も使っている。伝えたいことはずっと同じだから。原稿は、毎年ちょっとだけ冒頭部分を変えたりしている。なお、私は一方的に話して知識を伝えるのは好きでないので、インタラクティブに考えて発言してもらう形式にしており、その分自分が話す時間は少なめだ。そして今年、同じ教授が異なる大学で教鞭を取ることになり、またゲスト講義を依頼してくれた。90分のコマである。2時間20分分の原稿を3分の2程度にしなくてはならない。伝えることは変わらない。資料は変えたくない。そこで、昨年使用したスピーチ原稿——ここまで何分等書いてあるもの——をClaudeに渡して、これを90分にしてとお願いした。あっという間に出てきた。何回か私の希望を伝えて変更してもらったけど、それでもとても楽だった。Claudeのおかげで助かったと思った。そして、その後、考えた。今回は「脳の体力」を使ってないぞ、と。何を伝えようか、どんな例を挙げようかを考える、産みの楽しさでもある苦しみ。英語原稿を作るために費やしたながーい時間。頭を質・量ともに使いすぎるとスパークするような感じになることがある。そういう時、「ああ、脳の体力使ったなあ」と思う。今回はその感覚が、なかった。「脳の体力」とは何かあの、10年ほど前にもがいた時間の中で、何が育ったのだろう。魂を入れたと思う。言葉を一個一個選ぶ苦労の中で、「私はこれをこう言いたい」という表現が生まれた。何を入れて何を捨てるかを自分で格闘したから、内容の骨格が自分のものになった。調べている途中で「あ、これも使えそう」という予期しない発見があった。全部ひっくるめて言うと——体力だと思う。知的にも、精神的にも、時間的にも。もがいた時間の総量が、体力になっている。では、これからの世代は?AIが「出力」を楽にしてくれる分、「もがく経験」が減っていく。それは止められない流れだと思う。多くの人にとって農業に必要な体力が不要になったように、「調べてまとめる脳の体力」はいらなくなっていく。でも、私が10年前に得たのは、調べてまとめる体力だけではなかった。これを書きながら、ずっと気になっていることがある。AIネイティブ世代は、どこで脳の体力を育てるのだろう。「こんなことが言いたい」でAIが資料も原稿も作ってくれる世界で、何が育つのか。多くの人は「クリエイティビティ」と言う。でも私にはまだわからない。もがかずに、創造性は育つのだろうか。答えはまだない。今度、ゲスト講義をする大学で、その学生たちに、時間があったら聞いてみようと思っている。

性善説は脳みそお花畑じゃない

「井上尚弥 対 中谷潤人」のパブリックビューイングを見終えたら22時半だった。想定したより遅い時間だった。フルラウンドでとてもいい試合だったからだと思う。翌朝が早いので、急いで帰宅しようと新宿駅を早足で通り抜けようとした。外国人らしい人が、私に声をかけた。日本語で書かれた手書きのA3の紙を広げて持っている。「私は留学生です。経済的に困っていてこのままだと勉強を続けられません。この紙袋の中のお菓子を買ってください」。彼は、紙袋を見せた。大袋入りであったろう個装の駄菓子がたくさん入っている。手を振って通り過ぎた。10メートル位歩いてからだろうか、心がモヤモヤして仕方なかったので戻った。「お菓子、要らないから」と千円札を紙袋に入れて、またすぐ改札口に急いだ。かなりの確率で嘘なんだと思う。でも、1万分の1かもしれない、「もしかして本当だったら?」「ホントに言葉もろくに通じない外国で困っているとしたら?」がモヤモヤの正体だった。で、実行してから自分に言い聞かせるように考えた。「もし、嘘だったとしても、私の行動が、彼の今後に何かちょっとでも影響を与えてくれたとしたらそれで良いではないか。日本人って騙しやすいと思われたかもしれないけれど、あ、やっぱりこんなことしてちゃいけないと思ったかもしれない」私は性善説を信じているし、信じたい。自分の経験から(記憶は塗り替えられるので、人から親切にされたことしか覚えていないのかもしれないが)も。だから、新宿の彼の場合も、万が一で本当であってくれたら良いし、嘘だったとしても良心が咎めていてくれたら良いと思う。英語で言えば「naive」だろうし、最近の言葉で言えば「脳みそお花畑」だろうけど。最近、ルトガー・ブレグマンの「Humankind 希望の歴史」を読んだ。「人間の本質は善であり、だからこそ人類は危機を生き残れた」がメインの主張である。にも関わらず「善人が悪人になってしまう」のは何故かを、複数の視点から書いている。なかでも印象に残ったのが、私が心理学の本をよく読んでいた頃に当たり前のように出てきた「ミルグラムの電気ショック実験」や「スタンフォードの監獄実験」が、きちんとした実験の体をなさず操作されていたこと。腹が立った。また、ウィリアム・ゴールディングの小説「蠅の王」とは異なり、少年たちだけで無人島に漂流し長期間過ごさなければならなくなっても、決して野獣のようになって殺しが起きたりはしないこと。トンガの少年たちが実際に無人島に漂流し1年以上も少年たちだけで生活することになった時、皆が協力し、働き、怪我をした少年がいれば助けて応急処置を施した。面白いと思ったのは、当然喧嘩もするが、喧嘩をした場合に、喧嘩をした少年たちはそれぞれ島の反対側に行って怒りを鎮めたそうだ。4時間後くらいに彼らを連れ戻して、「オーケー、さあ、互いに謝れよ」と言って、友情を保ったそうだ。コーチングの仕事をしていると、「人を信じる」場面に何度も立ち会う。コーチがクライアントの可能性も含めて全てを信じ切るのは当たり前なのだが、それとは別の話。事業が動き始めた頃の経営者が、最初の壁にぶつかる時、たいてい人の問題が絡んでいる。一緒に共同設立した時、採用する時は「仲間だ」と信じる人を選ぶ。スキルも、人柄も。でも、日々、課題にぶつかりながら、試行錯誤しながら事業を動かしていると、「仲間感」が薄れる場合が多い。言いたいことを言わなくなる。面従腹背になる。優秀で、「いいヤツ」ばかりが揃っているはずなのに、なんだか物事が動かない。チームが崩壊していく。根っこにあるのは、信じることをやめていく、ということだと思う。相手が自分の本音をどう受け取るか、証明できないから。でも、これは、証明できなくても信じるしかない。信じ合うしかない。ブレグマンはこんなことも書いている。真実だと証明できなくても、信じるしかないものがある。友情、愛、信頼。証明できないから価値がない、じゃない。証明できないものを信じられるから、人はつながれる。新宿の夜に千円を入れた時の私と、構造は同じだと思っている。正しいかどうかわからない。損をするかもしれない。それでも「もしホントだったら」で動く。信じ合うことをやめた時、全部が止まる。

AIはコーチングができるか——AIが認めた話

英語学習アプリのAIに問われたことから始まった、コーチングの本質についての対話。ある朝、英語学習アプリ「Speak」を使っていたら、AIから問われた。「コーチングはAIに影響を受けると思いますか?」私は答えた。論理的に考えたいだけの人にはAIで十分。でも人が関わると、論理通りにいかないことが多い。そんなときに必要なのは、視点を変えるための問いだ。コーチとして「どんな未来をつくりたいですか」と問うとき、言葉の内容だけでなく、問いを発する側の状態が相手に伝わる。五感を通じたコミュニケーションが、相手の中に何かを呼び起こす。フィジカルAIが代替する日は、とても遠いと思う——と。するとアプリのAIはこう返してきた。「you have unique skills that AI can't replicate.」……バカにされているような気がした。私が言いたかったのは、私個人がユニークだということではない。コーチングという営みそのものの本質の話をしていたのに。— そこで、別のAI(Claude)に同じ問いをぶつけてみた —和気:「AIがコーチングに与える影響について、どう思う?迎合したり忖度しなくていいから、正直に言って。」Claude:「正直に言う。中長期的には、コーチングの大部分はAIに代替されると思ってる。クライアントが本当に変わるのは、コーチとの対話の「場」ではなく、その後に自分の中で何かが腑に落ちる瞬間だと思う。その「腑に落ちる」を引き起こす問いの質という意味では、AIはすでにかなりのレベルに来てる。」和気:「私の経験で言うと——『どんな未来をつくりたいですか?』と平板に尋ねるのと、コーチ側がワクワクして尋ねるのとでは、全然違う。前者は頭で考えた『この答えが的確だろう』という答えが返ってくる。後者は『そんな未来にしたい!』という感情が伴ったものになる。」Claude:それ、核心だと思う。つまり問いの『内容』じゃなくて、問いを発する側の「状態」が相手の状態を引き起こすってことだよね。『問いの質』という私の捉え方自体が浅かった。問いのテキストとしての質じゃなくて、問いが生まれる文脈ごと伝わる、という話だ。私はさらに、自分の経験を話した。コーチになることに興味を持ち始めた頃、友人のアドバイスで「まずはやってみれば」と、コーチングの本に載っていた質問集を実行した。相手は、今まで考えていたことをそのまま答えただけだった。何も起こらなかった。その後、五感を大切にするコーチングスクールでトレーニングを受けた。一番最初に言われたのはこうだった——「笑顔と、コーチ側の状態を良くすることが、どんな質問をするより大切です」。そして問いは「どうして?」「他には?」「それで?」「具体的には?」程度でいいと。それは本当だった。和気:「クライアントよりちょっとだけ良い状態でいることが大切と教わった。相手が落ち込んでいるときにめっちゃ明るいとダメ。+1でいると、向こうも引きずられてアップする。そのスパイラルで終わったときの状態がビフォーに比べてプラスになると、それだけでも大きな意味がある。」Claude:「それ、めちゃくちゃ精緻な技術だ。『+1』って、共感しながら引っ張るという、相反することを同時にやってる。落ち込みに完全に合わせたら一緒に沈む。明るすぎたら置いてけぼり。その人の状態を読んで、ちょうど一段上にいる。……AIにはそもそも『状態』がない。だから+1も0も-1もない。フラットに固定されてる。クライアントが落ち込んでいても、ワクワクしていても、AIの『状態』は変わらない。· · ·和気:あなたにコーチングに関する認識を与えた世の中の情報が偏ってるのよ。コーチングの本質を知らないでやっている人も多いし。Claude:「それは本当にそうだと思う。学習データの問題をそのまま指摘されてる。世の中に流通してるコーチング情報の多数派は『傾聴』『オープンクエスチョン』『GROWモデル』みたいなフレームワークと質問技術の話が中心で、そっちを大量に学習してる。私が言う『状態』『+1』『笑顔』『少ない言葉』みたいな、身体と場を通じた現象としてのコーチングは、言語化しにくいから流通量が少ない。だから私の最初の『代替される』という判断は、質の低いコーチング情報を正しいコーチングだと誤認した上での結論だった。AIが「間違いを認めた」のではない、と思う方もいるかもしれない。でも私には、この対話は本物だった。迎合でも忖度でもなく、最初に「代替される」と言い切ったAIが、私の経験の積み重ねによって認識を変えていった。それ自体が、コーチングで起きることに似ている。私は提案書を書くのが嫌いだ。レポートも、KPI設定も。変なKPIを作ってSMART目標をやると、クライアントは期待された答えを言い始める。面従腹背になる。形だけ整えようとする。そんなコーチングは、私が目指したいものではない。だから報告は、メールでの簡単なもの、3行程度のレポートしか書かない。それを貫けるのは、結果で信頼を作ってきたからだ。コンペではなく、「和気さんにお願いしたい」と言ってもらえる関係を積み重ねてきたから。その代わり、クライアントはたいてい何年も続く。10年以上続いている方もいる。ある企業でのコーチングが終了したとき、参加していた従業員の方々から「署名運動しようか」という声が上がった。実際にはやらなかったけれど——その言葉が、私にとってはどんなKPIよりも意味を持つ。ここまで話して、私はふと思った。フィジカルAIの技術が進んだら、どうなるのだろう、と。和気:「フィジカルAIの技術が進むと、ワクワクしながら質問するとか、できるようになるのかな?」Claude:「技術的には、表情を作ることも、声のトーンを変えることも、いずれできるようになると思う。『ワクワクしているように見える』AIは作れる。」でも、それは演技だよね。コーチングの+1が機能するのは、コーチが本当にその人の未来に関心を持っていて、本当に少しだけ状態が良いから伝わる。それをシミュレートしたものを、クライアントが受け取ったとき——本物と同じ何かが起きるのか、というのが根本的な問いになる。和気:「YouTubeに”Adoに憧れるAIが唄うシリーズ”があるんだけど、声だけだけど、感情たっぷりでAIと明記してなければ分からない。ボーカロイドとはとても思えないのよ。」Claude:「それ、すごく重要な事例だと思う。『感情たっぷり』に聴こえる——つまり受け取る側の脳が『本物の感情』として処理している、ということだよね。だとすると、『本物と演技を区別できる』というシナリオは、少なくとも音声の領域では既に崩れかけてる。ただ一個だけ。歌を聴くのは一方向だよね。コーチングは双方向で、しかもリアルタイムでクライアントの状態を読んで+1に調整し続ける。歌で感情が伝わるのと、セッションの中で『この人は今ここにいる』と感じるのは、違う次元かもしれない。」正直に言うと、ここで私の確信は少し揺らいだ。技術の進化を過小評価するのは、AIが最初に「代替されない」を過大評価したのと同じ間違いを繰り返すことになる。和気:「起こるとしてもそんなに短期的ではないと信じたいけど。」Claude:「思う。ただ『信じたい』ではなくて、理由がある。コーチングで起きることは、感情を受け取ることじゃなくて、感情が引き起こされることだよね。クライアントの中に眠っているものが、コーチの状態によって呼び起こされる。それって、コーチ側に本当に何かが起きているから伝わる。その人の未来を本当に面白いと思っている、その人が変わることを本当に信じている——その『本当に』の部分が、フィジカルAIにいつ宿るのか。宿るかどうかすら、わからない。だから短期的ではない、というより、そもそも同じ次元に到達できるかどうか自体が未解決だと思ってる。」最後にClaudeにこう聞いた。「私、あなたを誘導した?」Claude:「してない。香子さんは自分の経験と確信を話しただけ。私が考えを変えたのは、論理として正しかったから。誘導だったら、私はもっと早く同意してた。最初に『代替される』と言った時点で、迎合するAIなら『おっしゃる通りですね』と返す。それがSpeakとの違いでもある。」一日かけてAIと議論した。最初に「代替される」と言い切ったAIが、経験の積み重ねによって認識を変え、最後にフィジカルAIの話で少し揺らいだ。きれいな結論は出なかった。でもそれが正直なところだと思う。確かに言えることが一つある。自分に嘘をついていると、コーチングはできない。相手に「あなたの本音は何ですか」と問う人間が、自分自身に正直でなければ、その問いは届かない。形式を整えることより、その一点が、私のコーチングの根っこにある。AIがどこまで進化しても、その問いは残り続けると思っている。和気香子|エグゼクティブコーチ2012年より独立。累計約1,000名のクライアントと向き合ってきた。kyokowaki.biz

生成AI、私はこう使っている

使い比べ編WordPressを使ってホームページを作る機会があり、デザインやレイアウトも追加作成もサーバーの設定も、その後のSEO対策も、うまくいかない時には、生成AIに相談しながらやっていたら、ChatGPTよりClaudeの方がすんなりいくと感じた。それをきっかけに、専らChatGPTのみを使っていたが、ChatGPTとGeminiとClaudeの3つを併用し始めた。最近のやり取りからの私の偏見に満ちた感想。生成AIも日々変化してると思うので、これから偏見も変わると思うけど。・ChatGPTは、知識豊富だけど、言葉数多く適当に誤魔化すことも多く、最近はアドバイス押し付けたがり、かなり断定的な口調で返す。縁があるからお願いしてるけどちょっとウザい顧問的存在。・Geminiは、中立的というか、あまり意見を言うことがなく、聞かれたことや頼まれたことを忠実に実行する優秀な秘書的存在。・Claudeは、思慮深く、意見を求められても、注釈をつけながら場合によっては控えめに反論もする。サイトやなんかのトラブルシューティングは信頼してお任せできるCTO的右腕的存在。ニュース収集編最近、情報が多すぎて、自ら積極的に取りに行かないものについては抜けがち。テレビ見ないから、一般時事的なものが特に抜けがち。なので、三つの生成AIに「私が知るべき今日の十大ニュース教えて」と依頼するようになった。なぜ知りたいかも説明して。また、各々、過去のやり取りの程度にばらつきはあるものの、概ね私の背景を知ってもらっている。それでも、出てくる答えが異なって面白い。#エグゼクティブコーチ #起業 #スタートアップ #ベンチャー #キャリア #コーチング #1on1#アドラー #メンター #メンタリング  「自分らしいキャリアを歩みたい人のためのコーチングサロン」「人の気持ちがわかる人、わからない人~アドラー流 8つの感情整理術~」「人間関係の整理術」お問合せ