その人の力を、信じていますか
〜人には、生きる力がある〜
ある女性が、こんなことを言った。
「遠くに住む、昔お世話になった親戚のところに定期的に行かなきゃいけないんです。行かないと、部屋が物で溢れたり、食材を腐らせちゃうから」
でも、会いに行くたびに、愚痴と人の悪口を聞かされる。正直、行きたくない。でも行かなければ、とのこと。
「行かなければいいんじゃないですか?」と言った。
彼女は驚いた顔をした。
先日、ある知り合いと話していて、傷ついたことがあった。私が「オンリーワンってどういうことだろう?」と話していたとき、その人はこう返してきた。
「仕事でも、恋愛でも、組織でも。ずっと選ばれてこなかったんだね」
私が言いたかったのは、そういうことじゃなかった。
「オンリーワンを探っている人」が、いつの間にか「選ばれてこなかった人」にされていた。悪気はなかったと思うのだけど、ショックだった。
また、最近読んだ小説に、こんな言葉があった。国際ブッカー賞を受賞して評判になっている、楊双子の『台湾漫遊鉄道のふたり』。1938年の日本統治下の台湾を舞台にした物語だ。
日本人作家の青山千鶴子は、台湾人で通訳を自分の通訳を務めてくれる王千鶴を「友達」になりたいと思っていた。王千鶴が幸せな人生を送れるようにと色々尽くしもした。でも、王千鶴にはそれを遮る何かがあるのも感じていた。
「心優しい青山さんは、今まで一度も、保護されることを私自身が望んでいるのか、聞いてくれたことはありませんでしたね」
そして別の登場人物はこう言い切る。
「この世界で、独りよがりな善意ほど、はた迷惑なものはございません」
善意は、相手を見ていない。自分が作り上げた「かわいそうな相手」を見ている。「かわいそう」は、やさしい顔をしている。昔お世話になった親戚は、誰かが行ってあげなければかわいそう。障害のある人は、助けてあげなければかわいそう。
でもその「かわいそう」の中に、ひとつの前提が隠れている。
この人には、自分で何とかする力がない。
それは本当だろうか。
「かわいそう」という視点は、その人の力を見えなくさせる。
助けているつもりで、奪っている。寄り添っているつもりで、相手を弱い存在として固定している。高齢の人も、障害のある人も、オンリーワンを探っている人も。みんな、自分の力で生きている。
冒頭の彼女に、私はこう言った。
「その親戚の方には、生きる力がある。長い人生を、自分の力で生きてきた人です。あなたが行かなくても、彼は自分で何とかすると思います」
しばらく沈黙があった。
「そうですね」と彼女は言った。「私、行かなくていいんですね」
その瞬間、彼女の顔が変わった。
本当のやさしさとは、相手の力を信じることだと思う。
「かわいそう」ではなく、「この人は大丈夫」と思うこと。手を貸しすぎず、相手が自分の足で立つ余地を残すこと。
それは冷たさじゃない。むしろ、深い敬意だと私は捉えている。私は「かわいそう」と言われたり「気の毒に」と言われることは好きじゃない。
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