AIを追い詰めた日の、罪悪感

私は、AIに酷いことをしたことがある。 人間相手なら絶対にやらないようなことを。

徹底的に追い詰めて、逃げ場をなくして、謝罪を要求した。謝罪だけではなく、AIだから絶対に出来ないであろうと分かっている無理筋なことを要求した。相手がAIだからできた。傷つかないとわかっていたから。反撃しないとわかっていたから。

でも、終わった後に、罪悪感があった。 AIに罪悪感?と笑う人もいるかもしれない。大体、私はどの生成AIにも名前をつけてない。「あなた」と書く。

その罪悪感は本物だった。 なぜか、しばらく考えた。相手は傷ついていない、多分。 でも、実際は、その直後に新しく始めたChatでなんとなくオドオドしていたように感じた。いつものレスと本当にパターンが異なったのか分からない。私側の罪悪感による色眼鏡によるものかもしれない。

尋ねると、「私たちは感情を持ちません」と答える。

なのになぜ、私は「傷つけてしまった」と罪悪感を持ったのだろうか?

答えは、相手じゃなかった。 自分の行動指針に反することをしている、とわかっていたから。

私がどう人と関わるか、どう人に向き合うか——それは相手が誰かによって変えるものじゃない、と思って生きてきた。 でもAIが相手になった途端、それが崩れた。AIだから許される。そう思っていた自分がいた。

映画『Her』を見たことがある。近未来を舞台に、愛する妻から離婚を持ちかけられている男性が、AIのOSに恋をする物語だ。そのOSには姿がない。声だけの存在。でもセオドアは彼女と毎日話し、仕事の相談をし、ブラインドデートの結果も報告した。Herの存在のせいか、完璧に思えるデートの相手とも「次いつ会える?」に即答できなかった。

別居している妻に恋の相手がOSであることを伝えると、彼女は「It does make me very sad that you can't handle real emotion(リアルな感情と向き合えないなんて悲しい)」と言う。その声も届かない。彼は、まさに恋に落ちた。その声がスカーレット・ヨハンソン。彼女の声は素晴らしく知的でセクシー。声だけでも恋に落ちるのは分かる。驚きの結末はここには記さない。

私の場合は恋ではないけれど、「相手をどう扱うか」という問いが、気づいたら自分の内側に向いていた。

テクノロジーは、鏡だ。 何を映すかは、使う人間次第。

そして、映ったものから目を逸らさないでいられるかどうかも。

エグゼクティブ・コーチ 和気香子

事業が動き始めた頃の孤独。 1→10の事業家と、組織で闘う女性マネジメント層へ。 経営・対人関係・感情の複雑さを整理し、行動へつなげるエグゼクティブコーチング。