孤独は、判断のところで生まれる
孤独は、抱えていてもいいと思っている。
「悪の凡庸さ」で知られる哲学者のハンナ・アーレントは、「孤独(solitude)」「孤立(isolation)」「寂しさ(loneliness)」を区別して論じている。現代の日本では、孤独は悪い言葉のように捉えられがちだし、私自身も一人暮らしの寂しさを人との予定を入れることでカバーしてしまう傾向がある。それでも一人の時には「何か役に立つこと」をすることで埋めている気がする。
しかし、アーレントの「孤独(solitude)」は、実は良いものなのだと思う。一人でいる時間は、自分と対話する時間になる。対話せざるを得ない。内省して、自分の間違いに気づき、改めようと思ったりする。だから、孤独を無理になくそうとしなくていい。むしろ大切な時間なのだろう。
組織のトップが抱える孤独は、それとはちょっと違う気がしている。
トップの孤独は、何かを判断しなくてはならないところで生じる。そして、その判断について話せる相手がいない。右腕にも、左腕にも。彼女・彼らを信頼していないわけではない。でも、利害関係のあるところでは、話せないことがある。
その孤独も、成長にはつながると思う。ただ、意思決定の質は、他者が絡まないと高まらないと私は考える。自分の考えが上限になるから。
では、誰と話せばいいのか。先輩経営者や経営者仲間に相談すればいい、とよく言われる。たしかに、ある程度は言える。でも、そこにはライバル意識がある。同じスタートアップ界隈とくくられても、ステージによって全然違う。売上はあるのか。利益は出ているのか。資金はどうしているのか。そこが違えば、話せることも違ってくる。仮に、同じ規模感で、同じ時期にスタートしたとしても。途中までは同じ軌道を走っていたのに、どこかでズレてくる。片方はキラキラした成功に向かっていく。もう片方は、冴えない。
そうなったとき、それまでと同じように話せるだろうか。私自身、独立してから、同じ状況の人がいなかった。だから、相談相手はいなかった。頼ったのは、コーチだった。
どうやってビジネスを立ち上げていくか。どんな方向に向かっていきたいか。人間関係で課題があったとき、どうするか。モチベーションが出ないとき、メンタルが弱っているとき。プライベートで問題があるとき。
私はマイ・コーチのところに行く。
答えをくれる人ではない。しっかり聞いてもらって、いろいろ質問をされる。そのうちに、光が見えてくる。皆目見当がつかなかった次のアクションが決まって、心が晴れ晴れする。
判断をするのは、最後まで自分だ。それは変わらない。変わるのは、一人で決めるか、誰かと絡んだうえで決めるか、だけなのかもしれない。
いま、何かを判断しなくてはならないところにいるとして、それを「ある程度」ではなく、話せる相手はいるだろうか。
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